今田元喜の冒険旅行

憧れのヨーロッパアルプス オートバイ旅行(2008年の旅)

 2008年秋。 ドイツ、オーストリア、スイス、イタリアにまたがるヨーロッパアルプスの峠道に挑戦。 アルプスにはローマ時代からの古い山道があり、中世には馬車が越えるための道が発達した。 馬車が山越えをする道はジグザグの九十九折、しかも切返しがきわめて鋭角なのが特徴だ。

 左の写真はこのツーリングで上ったステルヴィオ峠(標高2757m)である。 ふもとからの標高差は1500mヘアーピンカーブ連続の道路が続き、峠の茶屋で一服のコーヒーは格別であった。

 スピード社会の現代はこのアルプスにはいくつものトンネルができ、峠を越えることなく簡単に行き来できる。 したがってヨーロッパアルプスの峠道は物好きの車、オートバイそして自転車に占領されている。 絶景、タイトターンの連続がアルプスツーリングの特徴。 ツール・ド・フランスの自転車ルートにもこのようなアルプスの山越えの道が組み込まれている。

 前回のアメリカツーリングではアメリカの代表ハーレー・ダビットソンを使ったが、ヨーロッパのツーリングにはヨーロッパの代表BMWが良く似合う。 オートバイはBMW-1200GS。

 【お断り このツーリング旅行は2008年にしていますが、カメラの設定ミスのため、写真には2007年と表示されています。】

アルプスの花 エーデルワイス

 アルプスの高山植物エーデルワイスは日本でも良く知られた花だが、この花の名を冠した会社がヨーロッパで幅広くオートバイのツーリングを企画しているので、インターネットで調べてみた。

 その企画は客のさまざまな希望を満たすように、年間を通じて様々な方面、走行時間、そして道路状況が企画、提供されている。 客は自分の好みや都合に合わせ、コースを選べる。

  • *地域はヨーロッパ全体を網羅。 (現在は全世界に展開)
  • *1日の走行時間は4~6時間、5~7時間、6~8時間、7~9時間と4レベル。
  • *道路は平易、中間、タフ、オフロードの4レベル

 エーデルワイス社の提供するコースから、私の実力に合った「アルプスツーリングセンター」を選び、参加することにした。 このコースは、1日の走行時間が6~8時間、道路条件は中間レベルである。

 中間レベルについて募集要項には次の様に記載されている。

  1. 道路はほとんどが舗装道路である。
  2. きわめて曲がりくねった区間、時にはきわめて厳しい九十九折がある。
  3. また交通量がきわめて多いところもある。
  4. その土地の通行マナーはでたらめと思えるような事もある。
  5. 十分に経験のあるライダーでなければならないし、さらに最低7,500マイルのオートバイ乗車経験があり、日ごろからオートバイに乗っていることがこのツアーに参加する条件である。

 また、このツアー「アルプスツーリングセンター」の特徴は

  1. 実施時期 5月から9月まで
  2. スタート/ゴール オーストリアのインスブルック
  3. 期間 7日間で5日がオートバイに乗る。 途中1日は休息日。
  4. 全走行距離 1350Km~1590Km、 1日の走行距離は90Km~270Km
  5. 期間中山の中腹にある快適で小さな同じホテルを使う。
  6. 希望するなら、どの日でもオートバイに乗らず休息して良い。 あなた次第。
  7. 毎日異なるコースを走るが、同じ宿舎に戻るので、毎日の荷物詰め、荷解きは不要。
  8. このコースにはオプションで「山岳コースのための1日トレーニングスクール」が用意されている。

「アルプスツーリングセンター」 ツーリングルート

ルートマップ
ゼーフェルトのホテルに泊まり毎日違うルートをツーリング

  • 前々日 ミュンヘン到着。 空港傍の村のホテル泊。
  • 前日  鉄道でオーストリアのインスブルックへ移動 ゼーフェルト泊
  • 1日目  1-① チロル 1-② ケッセルベルク道 1-③ リンダーホッフ城 1-④ ピクニックランチ 1-⑤ フェルン峠道 ゼーフェルト
  • 2日目 2-① ランディック 2-② ジルヴレッタ山岳道路 2-③ ブルーデンツ 2-④ヴェレゲンツァーヴァルト道路 2-⑤ ホテルまでフリー走行 ゼーフェルト
  • 3日目  3-① イムスト 3-② プルツ 3-③ レジア湖 3-④ グロレンツァ 3-⑤ パッソデルステルビオ峠 スイス国立公園地帯 ゼーフェルト
  • 4日目  4-① エッツタール 4-② エッツ、ウムハウゼン、セルデン 4-③ ティンメル峠 4-④ ヨーフェン峠 4-⑤ ペンサー峠 4-⑥ブレンナー峠 4-⑦ オーストリアの田舎道 ゼーフェルト
  • 5日目  5-① インスブルック 5-② アーヘン湖 5-③ イザール川沿い ゼーフェルト
  • 6日目  朝 車でミュンヘン空港へ。 帰国

前々日と前日  インスブルックに集合

 2008年8月30日。 準備万端、インスブルックに向かう。 30日午前11時に関空を発ったKLMオランダ航空はアムステルダムを経由し順調に当日午後10時過ぎにミュンヘンに到着した。 時差に体を慣らすためオートバイでツーリングを始める前々日にドイツミュンヘンに着いた。 深夜に着くので、空港内のミュンヘンエアーポートホテルを予約していた。 シャワーを浴び、就寝。

ドイツのミュンヘンからオーストリアのゼーフェルトへ

 31日朝、ミュンヘン中央駅までは地下鉄をつかった。 自動券売機で切符を買うし、空港なので英語で話しができた。 ここがドイツとあまり意識していなかった。

 ミュンヘン中央駅で、窓口嬢に『オーストリアのチロルにある「シーェルド」までの切符をください』と言うが窓口嬢は「シーェルド」は知らないと答える。 オーストリアのチロルの地名だと念を押しても答えは同じ。 痺れを切らし「Seefeld」と書いて見せたら、窓口嬢が「おー、ーフェルト!」。

 そう、ここはドイツでありドイツ流の発音をしなければならない。 やっとの思いでゼーフェルトまでの切符を手に入れた。 ゼーフェルトは小さな町で普通列車しか止まらない。 ミュンヘンから2時間半のローカル列車の旅である。 ミュンヘン中央駅から10時半に汽車は静かに発車。 バイエルン地方にハイキングやトレッキングなどに行く子づれの家族で列車内はにぎやかである。

 町を出ると次第に放牧地が広がり、列車は南に向けて郊外を走る。 やがてアルプス山脈が近くなってきた。 まもなく山脈のふもとの駅に着き、ほとんどの乗客が降りた。 がらんとなった列車はやがで山中に入りドイツ側の国境の駅ミッテンヴァルト駅についた。 左右には山の頂上までリフトが見える。 ここはスキーの盛んなアルプスだ。

 山中を進むとプラットフォームもないところで列車が止まった。 何事であろうかと窓から首を出すとそこにトレッキングをしてきた若者二人が列車に乗り込んできた。 そこは何の表示もないが駅のようで、車掌は乗車券を切っている。 もうここはオーストリアの北チロル地方である。 列車は再び走り出し、峠を越えてきれいで小さな町に着いた。 ゼーフェルトの街だ。

左がミュンヘン ここはチロルのゼーフェルト駅 右がインスブルック


北チロルの町 ゼーフェルト

 オーストリアの北部は北チロルと呼ばれる。 ゼーフェルトはインスブルック郊外の山の中腹にある夏はハイキングやトレッキング、冬はスキーが楽しめるリゾートタウンだ。 

チロルの民族衣装を着た御者 チロル風の帽子とズボン吊りのベルトの間からせり出したおなかがいかにもチロルの風情だ。


 駅前には事前に頼んでおいたホテルのバンが待っていた。 小さな町で駅から5分も走るともう町外れである。

ツアー期間中宿泊した小さなホテル


 これから1週間泊まるホテルはスキー場に隣接の山際のホテルである。 ホテルで荷物を解き、今夜ぐっすり寝れるように体を解すのを兼ねて町を散歩した。 チロルという響きに似合った町並み、チロル服を着た御者、家の窓を飾る色鮮やかな花々、町外れまで歩いても30分ほどの大きさだ。

ツアー参加者 初顔合わせ

 午後5時に参加者全員がホテルロビーに集合した。 米国11名、日本1名の12名である。若い参加者は50歳代で、65歳を超えた御仁もいた。 私は平均よりやや年長。

 ツアーガイドからこのツアーの説明がある。 ツアーコースの概略説明があり、さらに峠道のタイトターンの注意点、コース取りの説明があった。 やはりタイトターンはほかの国の比ではなさそうだ。

 毎日のスケジュール
  • 7時30分 朝食
  • 8時30分 今日のルート説明( 説明を始める前に自分の地図にルートを転記しておくこと)
  • 9時   出発 途中ルートの途中で昼食。 ホテルに帰るのは17時前後
  • 19時   夕食

 一通りの説明と自己紹介が終わると、書類手続き(免許証の確認、保険および追加保険にサイン)をしてブリーフィングは終わった。

 ツアー申込時に各自好みのオートバイを決めており、注文のモデルが地下の駐車場においてあった。 各自オートバイの鍵を受け取りオートバイの点検をする。 私のモデルはBMW-1200GS。 きれいに整備され調子は良い。

 点検と明日の準備を終わるとあとは楽しい夕食。 このツアーでは朝食と夕食はツアーに含まれており1週間このホテルの厄介になる。 アメリカのツアーでは夕食は各自レストランを探してとるスタイルだったのでツアー参加者の交流はあまりなかったが、このツアーは日本の団体旅行と同じようなスタイルでこれはこれでまた楽しい。

第1日 ドイツ、バエイルン州 リンダーホッフ城

 第1日はドイツのバイエルン州を一回りする。 ゼーフェルトから北に向かいドイツに入り、ミッテンヴァルト、コッヘルを通り、リンダーホッフ城を見学して再びゼーフェルトに戻る。

ツーリング初日の朝

 朝早く目が覚めた。 良い天気だ。 今日から5日間アルプスの山道を駆け回ると思うとわくわくする。

 6時過ぎに起きてホテルの周りを散歩した。 ホテルの前は公園になっておりその先はもうスキー場のある山だ。 公園を散歩して戻ると今日もっていく荷物(といってもたいした物はなく、地図、替えの手袋、寒いときのための長袖とセーター、非常食程度)をまとめた。

 7時半に食堂に行く。 さすがに酪農が盛んな国で、さまざまなハム、ソーセージやチーズが並んでいる。 パンもドイツパンから白パンまで。 またアメリカ人の好むシリアルも一式そろっていた。

 ドイツパンは苦手なので我が家で食べるのと同じ白パンとチーズ、ハム、ミルクとサラダに手が行く。 ハムはさすがにうまい。 いろいろと食べてみた。

 8時15分にミーティングルームで今日のコースを自分の地図に写しこむ。 全員が集合したところでガイドがコース説明と今日通る土地の文化や特徴を説明してくれた。 一日の予定を聞いたあと地下の駐車場でそれぞれ出発の準備をする。 順次用意の終わったものから外に出て、ホテル前の道路で待機。 全員がそろったのを確認しガイドが出発の合図。 さー、ツーリングの始まりだ。

初めてのBMW

 9時にガイドを先頭に出発。 BMWに乗るのははじめてである。 オートバイはどのメーカーのものでもたいてい同じである。 シートの高さ、ハンドルの位置、ステップの位置とオートバイの種類によって違いがあるので、そのポジションに馴染むまで多少時間がかかる。

 しかし、街中を走りだして戸惑ってしまった。 方向指示灯の消し方が分らない。 ハーレーは角を曲がると自動的に方向指示灯が消える。 また同じ指示器ボタンを再度押して取り消しができる。 ところがBMWは自動的には消えないし、同じボタンを再度押しても消えない。 街中から街道に出ても左の指示器を点灯させたり右を点灯させたりとおろおろするばかり。 もたもた指示器を出しながらしばらくみんなに続く。 途中で信号停止の時、隣のオートバイから消灯ボタンを押すことを教えてもらう。 このオートバイには消灯ボタンが別にあった。 この方向指示器を除けばその他は想定の範囲内。 次第にオートバイが体になじんできた。

チロルの風景

1489

 ゼーフェルトの町の小川は北に向かって流れドイツを流れるイザール川(ドナウ川の支流)に流れ込む。 ところが町の少し南の小川は南に流れておりオーストリアを西から東に流れるイン川(これもドナウの支流)へながれ込む。 ゼーフェルトはちょうど分水嶺に当たる町のようだ。 このゼーフェルトの小川沿いにドイツに向かって走る。 小川沿いの谷間は狭く細長い放牧地になっており、ところどころにきれいな家並みのあるチロルの農村の風景が広がり牛や羊の放牧がされている。 両側にそびえる山々はアルプススキーの中心地で次々とスキーゲレンデが現れる。 道は舗装されて車も少なく、村の中は時速30Kmを守り風景を楽しみながらのライディングだ。

修道院でコーヒーブレイク

 ロイタッシュ谷を過ぎ、ミッテンヴァルトを過ぎアルプスの山々を抜ける。 広々とした南ドイツの湖水地帯、バイエルンの農村の風景が広がっている。 まもなく国道に出て修道院と思しき建物の前庭に入った。 ここでコーヒーブレイク。 この修道院では簡単な食事ができるようである。 温かいコーヒーを飲み、クッキーを食べた。

 ここまでのライディングでオートバイに不具合がないかをガイドが聞いて回っている。 私はBMWに慣れたものの、シート高さが高くやや爪先立ちの状態だった。 ガイドにもう少しシートが低ければよいのだがと相談すると、最も高い位置にあったシートを標準の位置にセッティングしてくれた。 ちょうど良い高さとなった。

エンジンがかからない

 休憩も終わり、さあ出発。 みな次々にエンジンをかけ出発する。 ところが私のオートバイはキーを挿し込んでもキーが回らない。 何度も挿し直しては回すが、ピクリとも回転しない。 みんなに遅れてしまうとあせっているところに助け舟。 寄ってきたオートバイから「もうひとつキーがあるのでは?」と声をかけてくれた。 え? そういえば同じキーが二つある。 なぜ二つもキーがあるのかと気にもせずにいたが、ひとつはエンジンキー、もうひとつはトランクキーであった。 トランクキーとエンジンキーは同じものを使えると思い込んでいたが別々の物とは思いもしなかった。 もうひとつのキー(エンジンキー)を差込むとやっとエンジンがかかった。 ずいぶん遅れたので、少し急いだ。

ケッセルベルク道

 右手にヴァルヒェン湖が見えてきた。 まもなく標高差250mのカーブとヘアーピンのある峠道にかかる。 この峠道は20世紀のはじめまだ車が発展途上の1928年から1935年までレーシングトラックとして自動車競走が行われていた歴史的な所。 この道は週末の南行き(登り)のオートバイ走行は禁止されている。 ついつい興奮してオートバイを飛ばしすぎる御仁がここにもいるのだろう。 今日は土曜日、登ってくるオートバイはいない。 無事にこの峠道を通過し、左にコッヘル湖を眺め、コッヘルを左折しバイエルンの広々とした平野の田舎道を西行する。

リンダーホッフ城

 ノイシュヴァンシュタイン城と共にルートヴィヒ2世が建設した城の一つリンダーホッフ城まで放牧地帯を一気に走る。 さすがにここはヨーロッパである。 城の駐車場に集まったオートバイはほとんどがBMW。  この地域はバイエルン王が狩猟地として訪れたところ。 リンダーホッフ城は人里はなれた、森に囲まれるこじんまりした城である。 人気の観光スポットであり、待たされるかと心配したが待つこともなく城を見学。 この城の外に併設されたレストランで昼食と思いきや昼食をとらずに出発。

ピクニックランチ

 この会社はツアー中に1回ピクニックランチを行う。 リンダーホッフ城をでて木立の中を走ること20Km。 左手にプラン湖がみえたところでバンが待っていた。 ここで湖畔のピクニックランチである。 パンやハム、チーズや野菜を切り、サンドイッチを作っている。 いすやテーブルの用意を手伝い、ここで昼食である。 思い思いのハムやチーズをパンにはさみ、湖を眺めながら青空の下でしばしランチを楽しむ。 満腹したら海水パンツに着替え水泳をする者までいる。 ただひたすらオートバイを駆るのではなくいろいろ楽しむ姿勢はたいしたものだ。 食後の休息も十分。 再びオートバイに乗る。

フェルン峠

 バイエルンの平野を後にし再びアルプスの山に戻る。 今朝のバイエルン行きは川沿いの渓谷を抜けたが帰りは山越えである。 山越えはロイテからテルフスまでのフェルン峠越え。 一般道でありタイトターンは無いもののカーブとヘアピンのある峠道。 皆順調にこなし無事ゼーフェルトに戻る。 今日のコースはツアー初日であり、オートバイになれることと明日からのコースを乗り切れるか様子見のコースで、初日のコースとしては良いコースと思う。 初日の走行距離 203Km

第2日 ランディック ジルヴレッタ山岳道路 ブルーデンツ ヴェレゲンツァーヴァルト道路

 第2日。 イン川沿いにオーストリアの西部へ行く。 ランデックを過ぎまもなく左折し山岳地帯に入る。 この地域は1999年冬に村の半分が雪崩で壊されたという村もある豪雪地帯だが、秋の今は美しい景色を見せている。 そしてジルヴレッタ山岳道路はカーブの多いツイスティングを楽しめる道路。 午後は四国山脈の山道(県道4号線)にも劣らない狭い山道を30Km走る。

うす曇 今日は西オーストリアへ

 若い元気な3人組はアメリカ南部から来た。 長年のオートバイ友達で職業は建設業の職人さんたち。 明るく大きな声で騒ぎ立てる。 朝食時もテンションが高い。 彼らは常にグループの先頭を走る。 その後を夫婦で乗るタンデム2台とソロライディング2台が前後して走り、 その後を私を含めた残りの年長組が走る。

 アメリカ人は会うとたちどころに昔からの友人のように振舞う特技があるが、奥ゆかしい日本人にはそれが出来ない。 ぎこちない初日を経て、2日目になると少しは仲間になってきた。 おはよう。 ホテルの部屋から外を見ると今日はうす曇だ。  朝食はフレッシュな野菜や果物もついており、充実している。

 食事も終わり、8時半前に今日のコースを地図に転記し、そしてガイドのブリーフィング。 説明では、昨日は手慣らしのコースであったが今日は少しアルプスらしい山岳道路をを通るようだ。 今日のハイライトはジルヴェレッタ山岳道路。 西オーストリアの山道を駆ける。

イン川を上流へ

 ジーフェルトを南へ出るとそこはもうイン川の流域。 イン川はオーストリアを西から東に流れ下り、ドナウ川に合流している。 なだらかに下る丘陵の先にはイン川が、さらにその向こうにはオーストリアとイタリアを隔てるもうひとつのアルプス山脈が見える。 丘を下りきったテルフの町でイン川を渡り、そこからイン川沿いに西へ行く。 ランディックの町で我々はイン川を離れ、イン川の支流をイタリアとスイスの国境をなすアルプス山脈へと分け入った。 あたりは放牧地。 牛の落し物があるのでカーブでは乗り上げてスリップしないようにとのガイドの注意がある。 なるほど、牛が道路をのっそりと歩いている。 しばらく両脇に放牧地のある道路を走り、ジルヴレッタ山岳道路に取り付く前に一服休憩。

ジルヴレッタ山岳道路 Silvretta High Alps Road

 この山岳道路は有料道路で6月から11月まで通れるが、冬季は閉鎖される。万年雪や氷河のある3000m級の山々が連なるジルヴレッタ山岳地帯を通る山岳道路で、入り口のガルチュールの標高が1500m、頂上が2036m、そして出口のパーテネンが1050mである。 ガルチュールから頂上までは比較的真っ直ぐな上り坂で一部にジグザグがある。

 峠について驚いた。 峠には大きな湖がある。 どこから流れ込む水かと訝ったが、それは揚水発電の上池でこの有料道路は発電会社の持ち物。パーテネン側に標高差150mほど降りたところに下池があり、自然の景観を壊さないように、うまく作られている。 さすがに森林限界を超えており、頂上付近は木がまったく無い。 このジルヴレッタ山岳道路は昔からの峠道であるのは間違いないがわれわれが上ってきたガルチュールからの道は重量物をも運べるように拡幅してあるのだろう。 一方下池からパーテネンまでは馬車道そのものでジグザグとタイトヘアピンカーブが多い。 ここにもアルプスピザ(牛の落し物)がところどころにあるので気を抜けない。 さすがに出口が見えた時はほっとした。

州都 ブルーデンツ

山を降り、農村地帯をさらに西へ。 オーストリアとスイス、リヒテンシュタインの国境近くまで行き、ブルーデンツという古い町に着いた。 古くからの町であろうか、細い石畳の道路がゆったりと曲がり、石壁が両側にあるなど中世の町を感じる。 古くからの市街地を車も窮屈そうにいき来している中をすり抜けやっと通りに面して駐車場を持つレストランで昼食。 モンタフォン、シュルス、レッヒなど近隣に美しい村が点在するフォアアールベルク州の州都でアルプススキーリゾートとして知られていると言う。

ヴレゲンツァーヴァルト道路

 昼食を終わり町を出て右に折れる。 午後のツーリングはドイツとオーストリアの境のアルプスの山道を東に向かう。 山脈をひとつ越えたアウと言う町からヴレゲンツァーヴァルト道路に入った。 この地域は二階の外に花箱をきれいに飾った木造の農家屋が多い知ったのは帰国してからで、山々の美しさと道路に夢中であまり建屋の記憶がない。 この地域は西にスイスとの国境があり、「アルプスの少女ハイジ」の舞台、スイスのマイエンフェルトはブルーデンツとはわずか30Kmしか離れていない。 この山々の農家屋もハイジの家と似ているのではないかと想像が働く。 右はジーフェルドの写真だがこの地域は田舎なのでもっと素朴な花箱とも思うがきっときれいであろう。 ブルーデンスからおよそ100Kmほどヴレゲンツァーヴァルト道路を走り右折。

フリー走行

 山道にかかるところでいったん停止。 ガイドからこれからは車1台1が通れる細道だが一本道なので峠のところまでフリー走行するとの一言。 皆それぞれに走り出す。 先頭組は喜び勇んで、夫婦参加組みのタンデム2台とソロ2台が続きその後にわれわれが続く。 ちょっとスタートが遅れ最後になってしまった。 しばらくして前に追いついたが、数台たまっている。 先頭の1台が時々前に行けと合図し、道が少し広くなったところで1台ずつ前にいく。 私もそのうちに番が来て前に出ると、前とはずいぶん距離が離れたようで前のオートバイの姿は無い。 追い抜いたオートバイのフォローは一番最後から来るガイドに任せ先に行く。 本来のフリーとなり先を急ぐ。 しばらくしてようやく前のオートバイがちらちら見えて、次第に追いついた。 そのまま走っていたが、分岐を真っ直ぐにいった前のオートバイにつられて進むと下り坂でどんどん下る。 どうも左折が正しいようだ。 前を行くオートバイが気がついて帰って来るまでそのまましばらく待つ。 5分ほど待つと坂の下からやっと引き返してきて「ついてこないので道を間違えたとわかった。ありがとう」とさっさと先に行ってしまった。 私も引き返そうと思うが道が狭い。 もう少し下ってUターンし、やっと元に戻り道を急ぐ。 山の中の一本道といっても枝道はあるので注意が必要だ。 この山道を走りながら四国でたびたび走った細い山道を思い出した。  四国には瀬戸内海と太平洋の間にある四国山脈(中央山系と秩父山系)を横切る県道6号線が新居浜市別子支所から大川村へそして高知市まで峠道ばかりで続いているが、そこに良く似ている。 四国の道は木の茂る山深い道だがここは広い空があるのがわずかな違い。

2台が道に迷う

 峠で一服後またガイドを先頭に進む。 再び2台が先に行けと合図。 先ほど遅れていたのは夫婦で走るオートバイの内の1台。 またこの夫婦が最後に走ると意思表示。 それではと、皆追い越していく。 見る見る後ろの二人が離されるのがわかる。 どうも旦那さんは山道があまり好きでないようで、2台がゆっくりしたペースで後を付いて来る。 山道は30Kmほど続いたが、ようやく麓の町に出た。 ガソリンの補給をし出発するが最後の2台がなかなか来ない。 ガイドが「探しに行くが君たちはホテルまで行けるなら先に行け」言う。 地図を見るとそんなに複雑な道でもないので皆で先に行くことにした。 先にホテルについてくつろいでいたら、迷子のオートバイがやっと見つかってこれからホテルに向かうとの知らせがあった。  このツーリングはアルプスの山を走るのが目的だがほんとに楽しませてくれる。 今日は350Kmも山道を走った。

第3日 パッソ・デッロ・ステルビオ

 第3日。 今日はいよいよこのツアーのハイライト「パッソ・デッロ・ステルビオ」に挑戦する。 「パッソ」はイタリア語で峠のこと。 今日は国境を越え北イタリアの湖の多い湖水地方を通り、ステルビオ国立公園の峠を越え、さらに国境を越えてスイスに入り再びオーストリアに戻る。 オーストリア、イタリア、スイスの国境の山岳地帯を一回りする。

朝 雲が低い

今朝は雲が低い。 朝食も終わり出発の用意をするが雨の覚悟が入りそうだ。 「山の天気は変わりやすい」とよく言い「好天でも突然雨になる」の意であるが、ツーリングは好天のほうが良い。 天気が良くなるのを期待して出発。  朝、イムストの町まで昨日と同じ道を通る。 イムストから南の山道にいきなり取り付いた。 このあたりからついに雨模様となってきた。 この道はまったくの生活道路で放牧地の中に時々家が建っていた。 次第に激しい雨となり家もなく山の中を峠に向かう山道となってきた。

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 峠を越えたら急なくだりである。 一気にオーストリアとの国境まで山道で行くのかと思ったがそうではなかった。 プルツという町で再び国道に下りてきたが、雨も上がり国道の手前の高台の眺めの良いレストランでコーヒーブレーク。

 イムストからプルツまで国道を行くと27Kmだが、今通ってきた山道では32Kmである。 そう、参加のアメリカ人も私も皆アルプスの国道を走るために大枚をはたいて来たのではなく、山道を走り、峠を越えるためにはるばるアルプスに来たのだ!

レジア湖

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 プルツからは国道を行く。 峠を越えると視界が開けてきた。 目の前にきれいな湖が現れた。 その名はラゴ デ レジア(レジア湖)。 ここはイタリアである。 オーストリア西部は北はドイツ、西はスイス、南はイタリアに接しており今通ってきた峠は国境であった。 この湖はダム湖でこのすぐしたにも湖があるので(多分)ここも揚水発電の上池として開発されたようだ。 開発の前この湖には村があったようで湖の中には昔の教会の鐘楼だけが残されて建っている。 写真はこの鐘楼を背景にガイドのブッチャー君とのショット。 ブッチャー君は大学生でオートバイの運転が巧いのは当たり前だがこの地方の文化や民族についても丁寧に説明するインテリの好男子である。

国境の村 グロレンツァ

day32

 レジア湖から少し南に下るとグロレツァという古い町に着き昼食をとる。 今来たイタリアとオーストリアを結ぶ道は昔塩街道と呼ばれていたそうである。 どの国でも塩は戦略物資であり貴重な収入源でもあった。 その塩が国境を越えるところにあるのがグロレンツァという町である。 わずか800人ほどのイタリアでもっとも小さな町だそうだが国境の町の宿命であろう。 この町は国と国の戦争に翻弄された歴史があるとガイドから聞いた。 14世紀から15世紀に栄えたこの町は1499年のハプスブルグ家の軍隊とスイスの農民との戦いで壊滅的に破壊され放棄された。 その後16世紀になり再建されたが、防御のため町の周りを30フィート高さの石垣で囲ったという。 今も町はその石垣で囲まれており出入り口は車1台がやっと通れるだけの幅の厳重な門だけである。 われわれもその門から町に入る。 道の両側の家はもちろん石作りで道も石畳で古さを感じる。 門の写真を撮れなかったのでこの写真もグーグルから拝借。

パッソデッロステルヴィオ  Stilfser Joch (ドイツ語) Passo dello Stelvio(イタリア語)

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 ステルヴィオ峠は「アルプス道路の女王」とも呼ばれヨーロッパのライダーたちは機会があればぜひ通りたい道路だそうだ。 ステルビオからボルミオまで49Kmにも及ぶ山道は非常に道幅の狭いところがたくさんあり、タイトヘアピンが連続しており、単車線の手堀りトンネルがいくつもあるライダーにとってもオートバイにとっても挑戦に値する厳しい道路だ。 標高1250mのステルビオから峠の標高2,785mまで1500mを一気に上り、ボルミオは標高1300m弱である。 峠の標高が2,700mもあるので空気がやや薄くインジェクションエンジンならまだましだがキャブレターエンジンでは出力の低下があり難儀をするところ。  我々はこの道を峠まで一気に上り休憩の後また一気に降りたのですばらしい景色の写真をまったく取れなかった。 この不自由がツアーの泣き所、つらいところである。 左の写真は地元で売られている絵葉書です。

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 峠の土産物屋の前に自転車でこの坂道を登ってきた若者がいます。 この峠道は自転車やオートバイ乗りが集まるところ。 坂道を必死に自転車をこいで登る自転車をよく見かけた。 絵葉書はこの土産物屋で購入。

day33

さらにスイスの国立地公園を行く

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 この地域には3,000m級の山々が14峰もあり、イタリアのステルヴィオ国立公園とスイスの国立公園から成っている。 ステルテルヴィオ峠はステルヴィオからボルミオまで49Kmだが、この道は神聖ローマ帝国のフランツ1世が国境地帯の軍事道路として建設した。  現在は冬季は閉鎖される道路だが当時は冬季も通れるように維持していたというから、神聖ローマ帝国を取り巻くきびしい世界情勢を思い出させる。 我々は17世紀には神聖ローマ帝国から独立したスイスへさらに山を越えていく。 国境地帯はスイスでも国立公園であり、公園を抜けふもとの町ツェルネツでコーヒーブレーク。 スイスはユーロを使えないことはないがお釣りはスイスフランで返ってきて後で使いにくくなる。 改めて、ユーロ圏の国々を旅行する便利さを実感し、昔の国境越えの苦労を思い出した。 一服後オーストリアまで一気に帰る。 3日の走行距離は382Km。

第4日 ティンメル峠 ペンザー峠

 第4日。 今日は南オーストリアチロル西部とイタリアの南チロルと呼ばれる国境地帯のいくつかの峠道に挑戦する。 オーストリアのこの地域はエッツタール渓谷と呼ばれ、1991年にアイスマンと呼ばれる5300年前の男性遺体が発見された、オーストリア・アルプスのなかで最大の氷河域をもつ地域である。 アイスマンは山中で遭難し、氷河に取り込まれ5000年かけて氷河と共に流れくだりやっと発見されたのだろう。 また冬季はアルプススキーのリゾートがある雪深い地域だ。 3000mを超えるアルプス連邦のこの地域の峠道は冬季閉鎖される。

ティンメル峠 Timmelsjoch(ドイツ語) Passo del Rombo (イタリア語)

day41

 山道を3日走り汚れているシールドをヘルメットから外し昨日夜に洗って干していたのをすっかり忘れてシールドなしのヘルメットでホテルを出発。 町を出る前に気がついたが時はすでに遅しだ。 一人だけ引き返すわけにも行かず、シールドなしのヘルメットで今日一日は辛抱しなければならない。 雨が降らねば良いが。  昨日と同じ道を通り、エッツタールの町で左折しエッタール渓谷に向かう。 エッツタール街道をしばらく行くと最初の町がエッツだ。 人口2000人ほどの牧歌的なかわいらしい町だが、登山用ズボンやジャンパーなどで有名な「アストリ 社」の本社があるそうだ。 アイスマンが発見されたウムハウゼンの町、スキーやトレッキングなどの基地セルデンを過ぎるといよいよ峠道。 峠道は有料道路である。 昨日のアルプスの女王「パッソデルステルビオ」に比べやや広い道を上る。 峠までの途中に氷河があった。 夏でも涼しさを感じるさすがにアルペンスキーの盛んな渓谷だ。 峠はオーストリアとイタリアの国境で昔はあった国境検問所も既になくここでコーヒーブレークをする。 標高は2509mとアルプスの女王の2758mより少し低い。

 同じ峠だが峠を越えたイタリア側はパッソ・デル・ロンボ( Passo del Rombo )といかにもイタリア語という名前で呼ばれる。 アルパインピザがなく、イタリア側の空は明るいので昨日より少し余裕もあり気持ちも晴れやか。 順調にくだりふもとの町サン・レオナルドに下り、昼食をとる。

ヨーフェン峠 Jaufenpass(ドイツ語) Passo di Monte Giovo(イタリア語)

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 昼食のとき、大変込み合っていたのか、イタリアの気質か一人注文の品がなかなか来ない。 痺れを切らしウエーターに聞くとどうも注文を間違えていたようで、これから作ると言い出す。  これが日本であれば客はかさにかかってウエーターをなじるかもしれないが、さすがに客は大人である。 これから作ると1時間ほどロスになるし、なじると皆が不快な雰囲気になるのでそれをせず、「腹もそんなにすいていないからもういいよ。」とおとなしく切り上げると言う。 腹がすいていないはずはないがさすがにみんなで楽しく過ごすために我慢するとはえらい。 一方店は平謝りする様は態度は取らず、「あ、そう」で済ますとはここはイタリアで、ややちゃらんぽらんな雰囲気もお国柄か。

 食事を終え街を出るとすぐに峠道にかかる。 サン・レオナルドの標高680mから上り、峠は2099m、下った麓の町はビピテノ(標高990m)。 またタイトヘアピンのある山道を一気に上りまた下る。 そばらしい景色も写真に撮れず紹介できないが、景色を堪能し、ビビテノについた。

ペンサー峠 Penser Joch(ドイツ語) Passo di Pennes(イタリア語)

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ビビテノに着くと休むまもなくペンサー峠に取り付いた。 ここでも頂上までフリー走行!。  われわれの中でもっともスピードのあると見たヤンキーさんを呼び止めガイドがお前は残れという。 その他のメンバーは自由にどうぞということでそれぞれ張り切って走り出す。 さすがに前は早い。 追いかけるが追いつかない。 この峠はタイトヘアーピンもなく比較的高速で走れる峠のようである。

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 さて、残ったヤンキーとガイドはというと、われわれを先に行かせ、10分ほど待ってからヤンキーさんを先に行かせ1分後出たそうだが、途中であっという間に追いついたそうだ。 いやーさすがにガイドは運転がうまい。 ちなみにタイトヘアーピンを我々は1速で乗り切るが彼は2速または3速だというから呆れてしまう。 峠の頂上まできて一同そろったら今来た道を下る。 これもまたフリー走行。 距離は片道15kmと短いがフリー走行は気分がすっきり。 再びビビテノの町に戻った。

ブレンナー峠 Brennerpass(ドイツ語) Passo del Brennero(イタリア語)

 イタリアからオーストリアへの重要な峠道がブレンナー峠。 帝政ローマの時代、西暦48年にはこの峠をローマ兵が越えたという。 その後150年にわたって道路として整備されたという歴史を持つ。 今は鉄道、一般道路、有料高速道路の3本がこの峠を越えている。 我々は一般道路でこの峠を越えたが、この道路は重要な道路で冬も通れるように維持されている。 峠道というには大きな道路で気がひけるが歴史ある峠道なので記載。

オーストリアの田舎道

day44

 ブレンナー峠を越え一路インスブルックに向かうが、われわれはインスブルックの手前のムッタースという小さな町で、イン川から山ひとつ南の田舎道を西に向かう。 幹線道路と田舎道があれば田舎道を通りアルプスの山々をツーリングするのがこのツアーである。 両側を山に囲まれたいくつかの小さな町をとおり、時には尾根道を通り朝通ったエッタール渓谷のエッツに戻り、朝来た道をゼーフェルトのホテルまで帰った。

 今日は峠を4箇所こなし、走行距離は340km、よく走ったものだ。 シールドなしであったが、幸い雨も降らず、高速走行もそんなに長い時間ではなくて助かった。

最終日 インスブルック

 第5日。 今日がこのツーリングの最終日。 朝、今日はインスブルックまで行き、町を散策して帰るか、あるいは峠道はないがツーリングを楽しむのとのどちらにするかと問われた。 町の見学はいつでもできるので全員一致でツーリングをすることになった。 皆ツーリング大好き人間ばかり。 インスブルックは古い教会とオリンピックのボブスレーコースをほんのちょっと見学するだけで済ませ、ドイツまで足を伸ばし一回りツーリングを楽しむことになった。

インスブルック

 チロル州の州都インスブルックは1964年と1976年に冬季オリンピックが開催された都市で、インスブルックで私が思い出すのはトニー・ザイラーである。 彼の映画の主題歌「白銀は招くよ」という歌は良く聴いていた。  トニー・ザイラーはオリンピックでアルペン3冠を達成したスキーの名手でこのインスブルックに住んでいた。 インスブルックの周囲にはスキー場が多く、ジーフェルトもそのうちのひとつ。

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 ジーフェルトから南に向かいイン川沿いに東に行くともうそこがインスブルック。 落ち着いた町なかの教会を訪れたがどこの教会かわからない。 一通り見た後に寄ったのがボブスレー会場。 左の写真はボブスレーコースの中。 ここでオリンピックが開かれた。

アーヘン湖

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 最終日はゆったりとツーリングで、峠どころか山道もない。 インスブルックからさらに東に向かいイェンバッハの町まではイン川沿いに走りそこから北に向かう。 しばらくいくとアーヘン湖についた。 湖畔のレストランで昼食を取る。  この湖畔にはヨーロッパでもっとも古いアプト式のアーヘンゼー登山鉄道がある。 この駅から対岸まで遊覧船があり、今度オーストリアにきたら、インスブルックに一泊し、アーヘン湖の遊覧船に乗り、対岸のSLに乗るのも楽しそうだ。 登山鉄道は春から秋までの運行で、この路線の周囲の山々は冬はスキー場となるようだ。 昼食を済ませアーヘン湖沿いにドイツに向けて走る。

ドイツ シルヴェンシュタイン湖からイザール川沿い

国境を越えるとそこはドイツ。 ドナウ川の流域に変わる。 しばらく走るとシルヴェンシュタイン湖に出た。 ここから方向を西に変えイザール川沿いに車の通れない細道を行く。 ここは個人所有地で通行料を払い通る山の中の細い道。 およそ10Kmほど続く細道をでると国道にでた。 ここは第1日に走った国道でここから30Kmでゼーフェルトの町についた。 最終日は荷物をまとめたりみやげ物を買ったりとするのでツーリングは早めに切り上げ走行距離は165Kmであった。 

ホテルでの夕食

 毎日のツーリングの後、日記を書いたり、シャワーを浴びたりと思い思いに過ごす。 夕食は三々五々集まり、その日のツーリングを話題にみんなで食事をする。 ホテルは4星ホテルでアラカルトの食べれるレストランが別にあるが我々はグループで食事をできる食堂が用意されており、朝食と夕食をここでとる。 食事も自分で注文するのではなくメインディシュは日替わりのコース料理が出てくる。 アルプスのさまざまな家庭的な料理を楽しめてとても良かった。

 最終日の夕食はいつにも増して盛り上がる。 すばらしい景色を山道を堪能できたし、5日事故もなくツーリングを引率してくれたガイドの若者にはみんなで感謝のチップを贈呈。 最後にガイドから参加者の中のもっともチームに貢献した一人にエーデルワイスをあしらったメダルを贈呈。

帰国日 ミュンヘン経由 日本

 翌日は三々五々帰国する。 インスブルック経由で帰国するもの、あるいはミュンヘン経由で帰国するものとルート、出発時間はいろいろであった。 私は汽車でミュンヘンまで行くつもりだったが、ミュンヘン経由の3名が誘ってくれ、ミュンヘン空港まで4名でチャーターしたマイクロバスで直行。 空港ではドイツビールとソーセージで最後の乾杯をして別れた。

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また機会があれば参加したい楽しいツアーだった。