2025.01.16 台中・台南の旅 9日目 安平古堡と安平老街
朝食の相席は日本人
食堂が混んでいたので、先客がいたテーブルに相席をお願いした。一見して同年配の日本人である。
「おはようございます。日本の方?」と挨拶をしてはなしが始まった。
私より5歳わかい男性で月に1度、1週間ほど日本から台南市に仕事で来ているとのこと。「貿易関係のお仕事ですか?」と問うと、工場の建設工事であるというから驚いた。台湾で工場建設と言えば50年ほど昔は新竹市でIT工場の建設と工場操業などで大勢の日本人が来ていたことを思い出した。「工場はIT関連ですか?」との問いにIT工場で使うガラス製品を製造し納める工場を建設しているとのこと。確かに新竹市はもう工場拡張の余地もないだろうから、台中市や、さらに南の台南市までも工場建設の波が押し寄せているのか。
日本でもそのような時代があったが、それも「今は昔」。昔に戻った思いで面白い話を聞かせてもらった。
台南市の観光地 安平地区へ
だいぶ元気になったので、台南の観光地「安平地区」に出かける。行きは「市バス2系統」を利用。台南駅前を出発したバスは繁華街をぐるぐると回りながら、やがて川沿いに走り、安平古堡(Fort Zeelandia)前で下車。
安平古堡
安平古堡は古くは奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)あるいは熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)とも呼ばれていた台湾最古の城堡で1624年にオランダが建城し、1632年に完成したレンガ作りの城堡である。
数mの高さのレンガ外壁の中に、10m程の高さのレンガ壁を作りその中に城があった。
城の高さから中庭を見下ろしている。17世紀のオランダの出城はこの程度だったのだ。
城の中にあった模型です。左が安平地区の全体模型で、右が安平古堡です。17世紀この地区は回りが海だったようで、何処か長崎の出島に雰囲気が似ています。オランダは地区の小さな高台に城を構え、その横に城下町があったのでしょう。
その城の模型を見ると、これもまた札幌の「五稜郭」と輪郭が似ているように思います。平地に小さな城を作ると必然的に似るのでしょう。
安平地区を散歩
古堡を出たら安平地区をぶらぶらと散歩です。
古いお城と古い街並みは格好の教材なのだろう。大勢の小学生や中学生が遠足に来ていました。日本の門前町のお土産屋通りの雰囲気でした。
南国の台湾はガジュマルの木の勢いが強く、古堡でも中庭に大きなガジュマルがありました。もともと倉庫であった建物を長く放置していたら、ガジュマルに乗っ取られてしまったようです。何事も徹底したらそれで商売になるようで、今では入場料を取る観光名所になっています。
散歩を終わりバス停で待つこと数分。到着したバスは「市バス98系列」でした。それに乗りホテルに戻りました。
夕食は讃岐うどん
まだ台湾料理を食べる気力がありません。近くにある三越の地下食堂の「丸亀うどん」でした。
16日の歩数 11782歩
中国の文化や歴史に詳しい友人から「安平古堡の堡」について次のようなコメントを貰いました。
中国語で堡は「土でたもつ」ですね。「おしろ」に使います。万里の長城です。
日本語では「城」を間違って「おしろ」意味に使用していましました。土+成=つちでなる?=つちのかべ=すなわち城
なるほど。そんな違いがあるのですね。そういわれて改めて安平古堡の名前の変遷を見てみると古堡の歴史を読み取れました。
建設当初(1630年ごろ)
オランダが建設し、使っていた頃なのでオランダ人はオランダの王族「オレンジ家(House of Orange-Nassau)」に由来する Fort Orange と名前を付けたのでしょう。その発音を地元の実力ある者たち(山田長政がシャムで活躍していた時代なので台湾にも大勢の侍が進出していたと想像)達が Fort Orangeを 奧倫治城(オラニエ城)と城を使って訳したのでしょう。
その後のオランダの支配する時代
オランダの「ゼーラント州(Zeeland)」は海に囲まれた地域です。この名前は、オランダの主要な地名であり、オランダの歴史において重要な地域の一つです。オレンジ家を冠した名前よりふさわしいと考えてFort Zeelandiaに改名したのでしょう。Fort OrangeもFort Zeelandia も世界各地のオランダ領の多くの砦に使われた名前の様です。
現代
終戦後、台湾は蒋介石による統治で始まり、現在は台湾人による統治がなされています。オランダが残していった古い砦は遺跡として管理しています。砦のある地区が安平区なので、行政としては安平にある古い砦を「安平古堡」と「城」ではなく中国風の「堡」を使うのは自然でしょう。
日々のブログですが、思わぬコメントをいただき、勉強になりました。ありがとう。
